【食コラム】収穫祭、ほんとうの旬とは
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2008年11月04日

「絶好の食べごろはいつも鳥との競争です。残念ながらたいがいは鳥に軍配が挙がる。人間、食べ時の勘どころはあかんようになりましたなぁ」。
箱根山中に窯をしつらえて自然の中で作家活動をしている陶芸家を訪ねた折のことでした。澄み切った秋の青空にひときわ映える熟した柿の実。それを仰ぎ見ながらボソッといわれたこの台詞。秋が深まり、柿が色づく頃になると何時も思い出される場面です。
食べごろ、食べ時。これほど見事に旬を言い表す言葉はないでしょう。食べものを判断する基準を賞味期限、消費期限という記号に置き換えてしまった今日、「旬」をことさら言い立てながら、実は「本当の旬」がわからなくなっているのが現実です。樹上の柿の実に表示シールはありません。
命をかけて食べものを選択する、という生き物の本能。「ヒト属、ヒト科」の私たちはとっくに磨耗してしまったといえるかも知れません。
江戸っ子の初物好きは季節の節目を知り、来るべきほんまもんの旬を待つ心構えだったといわれます。
その旬が、いつの間にか「人工的につくられた旬」に変質してしまったのには、初もの初売りに走る流通に責任があるという説があります。でも、真冬にトマトやきうりを欲しがり、クリスマスにいちごのケーキを求めてきたのは他でもない私たちです。欲しがるからつくる。売れるから売る。これが商いの原点である以上、旬をゆがめてしまった責任の一端は私たちにもあるのです。

市場入荷量のピーク時が旬という市場流通の表現で言えば、いちごの旬は真冬。完熟の露地ものが美味しくなる春にはもうお目にかかれない。夏の果物スイカやメロンが主役なのです。粒の揃わない、でも完熟で甘いいちごをグツグツ煮て、手づくりのジャムづくりなんてずい分遠い昔の話になりました。
鳥が見向きもしない季節はずれの食べものを人間さまは高値で買い求め、自慢げにほおばるのです。
それでも秋は各地の「収穫祭」がメインイベントです。瑞穂の国、日本はお米の収穫を祝い、新酒を供えて神に感謝する。お隣韓国は秋夕祭、新酒(マッコリ)とお餅が欠かせない。神々が住む島、バリ島は毎日が祈りと収穫への感謝で一日が始まります。
今年の秋は、少し「生きものの感性」に立ち返って、ほんまもんの旬を考えてみましょう。
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