【食コラム】 アンニョンハセヨ 済州島
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2009年10月29日

「テーブルの足が折れるまで」韓国でお客をもてなす表現としてよく使われてきたフレーズである。大きなテーブルに卓上いっぱいのご馳走。大皿の上にさらに皿。二重三重と料理の皿が重なることも珍しくない。屈強の男衆が何人もで運んでくる。もっともこの話はオリンピック(’88年)以前のことである。ウェルネス、スリムがビューティの主流である昨今はめったにお目にかかれなくなった場面である。今風は皿数は多くても少量でこ洒落た西洋風の盛りつけ。伝統的な料理でさえ新趣向を凝らす。特に都会での変貌は著しいようである。
お嫁さんがキムチを漬けないどころか買ってくる。孫はキムチが嫌い、などとおばあさんが嘆いていた。日本から見るとはるかに韓国のお母さんたちは頑張ってまじめに「食」と向き合っていると思うのだけれど。

「医食同源」「食は上薬」の文字通り、世界で一番沢山野菜を食べる国、キムチに代表される発酵食、雑穀文化、多彩な餅文化、地方各々の伝統酒、根強い民間茶と民間薬信奉などなど、身びいき分を割り引いたとしても私の知る韓国の食は、世界屈指の奥深さと豊かさを持つ。人々も自国の文化、食に誇りを持っているはずだ。以前「韓国の伝統食文化」を訪ねて料理研究家の方々とぐるり一周したことがあった。韓国の大学には「伝統食文化研究科」なるものや、食サークルが幾つもあり、各地域で学生たちと意見交換、交流する機会があった。
スパゲティやピザ、パン食が既に身近にあったが、自国の歴史、食文化に精通していて驚かされた。「最後はやっぱりキムチとオモニ(母)の料理に尽きる」と誇らしげだったっけ。その彼らの子どもたちが、キムチは嫌い!? かつて日本がたどった道をおもわずにはいられない。
そして済州島

「ぜひ済州島へ行ってごらんなさい」そう言われ続けてきた。20年以上も韓国通いをしたのに始めて済州道を訪ねた。
韓国の最南で最大の島。日本の淡路島の3倍、伊豆大島のひとまわり大きい火山島。ここに55万人が暮らす。古くはタムラの国という独自の文化を持つ独立国だったが、高麗王朝時代に韓国に吸収されたという。以来政変がある度に政治犯が送られる流刑の島であった。

暖流の恵みで新鮮な魚介類とかんきつ類が主な特産品と、にわか知識を詰め込んで出かけた。
現在の島は韓国隋一のリゾートのメッカ。マリンスポーツはもちろん、23あるゴルフ場は間もなく30を超えるそうだ。ゴルフ場がもたらす農薬汚染など気になるところであるが、長い間貧困にあえいできた島民は、開発を歓迎している。
「韓国のハリウッドを目指す」島全体が日本でもおなじみのドラマや映画の舞台。ロケ地めぐりのツアーは人気で、最大のお客はもちろん日本のおば様たちであるようだ。
みかんの来た道

この島で確かめたかったことのひとつは「みかん伝来の道」である。今は韓国本土でも簡単に手に入るみかん。昔は「日本からのおみやげはみかんにしてね」というほど貴重だった。熱帯地方原産のみかんは寒さに弱い。済州島は西岸に赤道海流の支流が流れている。
ヤシの実も流れてきたというからどうやら南方から運ばれてこの地で生育したらしい。2000年前、タムラの国以前から生産されていた。世にも珍しい貴重な果物として都に献上。うわさを伝え聞いた和の国(日本)の天子がわざわざ求めさせた。みかん伝来の道はこの島からだったという説。
現在、済州島のみかんはデコポンに代表されてしまっているが、島の民族博物館にいくと、在来の品種はおよそ35種類残っているという記録があった。青橘、黄橘という表示しかない。果物市場で聞いても大・中・小、早生、晩生程度だったが。
日本の文化のほとんどは朝鮮半島経由のものが多い。トレーサビリティも大事だが、原産地からどのような旅をたどり物語を経て、今私たちの前にあるのか。
ぜひ知る機会を求めてほしいと思っている。
百聞は一見にしかず。食は味わってみるに限る。
素朴で飾らない頑固なまでに昔のまんま。ずーっと昔に感動した韓国の食が済州島にはあった。
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